Give up-オフコース・ストーリー-(山際淳司)を読んで
今回はオフコースの本の紹介です。
Give up-オフコース・ストーリー-
山際淳司著。
NHKで放送されたりしていた、伝説の武道館ライブの10日目が1982年6月30日。この日が鈴木康博さん(以下ヤスさん)がオフコースとしてライブをした最後の日でした。翌年1983年8月31日でヤスさんは正式に脱退して、以後ソロとして活動し、残ったほかのメンバーは(いろいろあって)オフコースとして継続して活動していくことになりました。
紹介するGive up-オフコース・ストーリー-は1982年8月1日発売。ということは、この本はそのヤスさんが抜けるか抜けないかのごたごたしていた時期を描いた作品です。
※以下、ネタバレかなり含みます
語彙力をなくして率直に申し上げますと、めっちゃ面白かったです!
後追い世代のオフコースファンとして少し認識が間違っていたことに気づかされました。ヤスさんに抜けないでほしいってメンバーやスタッフがごたごたしていたのかと思ったら、それだけじゃなかった。ヤスさんが抜ける=オフコース解散→解散をどうやって世間に知らせるか、そもそも解散だと発表するか、という大人の事情も含めた問題だったようです。
話し合いがなかなか進まない。その状況を描きつつ、メンバーやマネージャーそれぞれの生い立ちや胸の内、インタビューを通してオフコースを深堀りしていくというのがこの本の内容です。
ヤスさんが抜けると決め、それをメンバーやスタッフに伝えてから話が進まなかったことへのいら立ちがあったというようなことをどこかで読みましたが、それを裏付けるようでした。メンバー、スタッフ間で何度も話し合いをするけれど、やっぱりオフコースがなくなるのは嫌だから、ヤスさんがいなくなってしまうのは嫌だから、なかなか話が進まず話題がそれてしまう。
オフコースはヤスさんが抜けた後4人で活動することになるわけですが、そのことにヤスさんが拍子抜けしたというエピソードも、ずっと解散前提で動いていたからこその驚きだったのだということがつながりました。
この本を読むと徐々に5人の歯車が壊れていったことがわかります。途中で加入した大間ジローさん(以下ジローさん)、松尾一彦さん(以下松尾さん)、清水仁さん(以下清水さん)がバックとしてではなく、メンバーとして馴染んでいく。それは小田和正さん(以下小田さん)とヤスさんが望んだこと。それによってオフコースの音楽のレベルが高くなっていく。その一方で、なぜかヤスさんだけ取り残されていることが出てくる。
誰のせいでもないし、小田さんとヤスさんの関係が悪くなったわけではない。そもそもすべてが完璧なことなんてないのかもしれない。ただ、小田さんを前面に出していく方針が進んでいく中で、5人で活動していく中で、ヤスさんが取り残されてしまったような気がします。当時の映像を見る限り、4人ではしゃいでいて、ヤスさんは心なしか居心地が悪そう。それによってオフコースにどんな曲を書けばいいかわからなくなり、ますます居心地が悪くなる。メンバー4人はヤスさんのことが嫌いなわけじゃない。好きだけど、微妙なズレによって距離ができていく。
売れることの代償として、小田さんはヤスさんを失ったとも言えるのではないでしょうか。この本では書かれていませんでしたが、それは小田さんにとってかなりのダメージだったというのは武道館ライブの映像を見てもわかります。
1つだけ確実に言えることは、誰も悪い人はいないということだと思いました。小田さんヤスさんが三人でやっていたころが良かった、三人のメンバーが入ったから均整が壊れたのだ、と思う人がいるかもしれないけれど、それは違うと思います。
仲がいいということの定義も難しい。小田さんとは音楽だけでつながっていたと当時ヤスさんは淡々と話していたようですが、本当にそうなのかなあとも思います。飲みに行かなくても、共通の音楽が好きというだけではそんなに長く一緒にいることができないのでは、と。ヤスさんは小田さんに対してあっさりした印象ですが、小田さんはあっさりしているようでヤスがいないとだめだと思っていた節がかなりありそうです(そして他のインタビューなどを読むと実際に4人のオフコースとして活動していく中で痛感したよう)。
オフコースは解散してしまうのか。その経緯は単純じゃなくて、当時の新聞や週刊誌などで取り沙汰された分では憶測が含まれており、誤解を生んでしまっていた。だからこそ、ファンは読んでほしい。この本を一冊読むことで当時の裏がすべてわかると思います。
メンバー5人と、それを客観的に見る著者の姿勢もいいです。著者はノンフィクション作家。スポーツ関係のノンフィクションを書いている人で、批評家ではありません。だからあくまでもメンバーや関係者などの言葉、雑誌などの資料からまとめられていて、読みやすくて、最近読んだ歌手についての本でも私的にはベストです。
他に、いくつか印象に残ったことを。
自分で書いた曲をヒットさせたいという気持ちがある。日本のほかの人が歌ってくれてもいいし、外国でヒットするんでもいい。
そのためにも、一度、オフコースというグループから離れてやってみなければいけないと思った。
とヤスさんが語られていますが、この点は郷ひろみへの提供曲「素敵にシンデレラ・コンプレックス」(作詞:阿久悠、作曲鈴木康博、1983年発売、オリコン9位、NHK紅白で歌唱)で見事に達成してますね!
松尾さんとジローさんについて。お二人はオフコースに入る前、アルフィーと同年デビューでジャネットというグループにいました。ジャネットのデビューしてからの扱いが、作詞作曲は専業作家によるもの、アイドル的な扱い、こうしろああしろと周りの大人たちに言われるがまま。そのあたりがアルフィーとそっくりだと思いました。
ジャネットは解散してしまい、松尾さんとジローさんはオフコースに入ったことで力を発揮してヒットグループになる。
アルフィーはレコード会社との契約を解除して新たに再スタートを切り、時間はかかったけれどヒットした。
違う道ですが、成功にはいろいろな道があるのだと思いました。
小田さんの早稲田大学の大学院卒業時に提出した論文の内容、その発表の時にしゃべった内容も記載されていて興味深かったです。小田さんがつけたタイトルは「建築への訣別」(最終的に「私的建築観」として提出)でしたが、専攻していた建築だけでなく社会批判、自分たちの音楽が世間に受け入れられないことへの怒りが含まれているようにも思いました。これは全文読んでみたいのですが…読めるところを知っている方がいたらぜひ教えてください。
オフコース・カンパニーという会社をつくったり、印税やレコード盤の売り上げ、ライブをした時などにかかるお金、そのお金を誰がもらうのか、といった話が具体的な数字を上げつつ生々しく書かれていたのも興味深かったです。
布施明、桃井かおり、タイガースがちらっと出てくるのですが、その言葉が印象的すぎます。
まとめますと。
その時のオフコースの状況を見事に切り取った作品!
複雑な話なので(だからこそ一冊の本にまとまっているわけですが)、機会があればぜひ本を読んでほしい!このブログはかなり私的な見方が混じっているので、ご自身で実際に本を読んでオフコースの5人の関係について考えてみて欲しいなと思います。中古でも割と手に入りやすいようですし…!
全部褒めるのもなんなので、ちょっと批判を。
①タイトルについて。
Give upというのは著者が決めたと本文にも書かれていますが、インパクトを求めすぎていて内容とは離れている気がします。あきらめたわけじゃなくて、ヤスさんは次のステップに進もうとしている、メンバーはそれぞれいい形にオフコースを持っていきたいと思っている。
そこが本文にきちんと描かれていた分、タイトルがなんだかもったいない気がしました。
②表紙と裏表紙について。
どっちも小田さんの横顔なんです。
ヤスさんが抜けることによる解散騒動なので、表が小田さんだとしたら、裏表紙はヤスさんにしてほしかった。それか小田さん以外の4人。裏表どちらも小田さんの顔だから、オフコース=小田和正なのがさらに強調されてしまっている(本文を読めば違うことはわかるけれど)。
そもそも表も裏も同じ写真で、デザイン手抜きしてない…?っていうのが正直な感想です(デザイナーさん、言い過ぎてごめんなさい)。
Give upは図書館で借りた本ですが、実はオフコースの本では「はじめの一歩」①②も現在借りています。こちらはぱらっと見た感じ、そんな深刻な話というよりオフコースの歴史がわかりそうな感じなので読むのが楽しみです。
続きを読むミュージックカンファレンス岡崎vol.6
今年も10月30日にミュージックカンファレンス岡崎に行ってきました!
というわけでライブレポです。今回は早めに書きました(えっへん)。
【出演者】
(敬称略)
-1部-
まず大野さん登場!
1.長いお別れ
2.MAN
3.ダーリンすべてを忘れようじゃないか
4.平凡なこと
曲の合間には内田裕也さんなどの物真似を交えつつ(笑)
ソロ曲が多めでした。アルバム「平凡なこと」収録曲。
特に「平凡なこと」は生で聞いたことがなかったので今回聴けて良かったです!かっこよかった!
「大野さ~ん」と呼ぶ声が聞こえてきて、ZOOCOさん登場。昨年に引き続き二度目の出演です。
内藤やす子さんとのデュエットで歌っていたという曲を ZOOCOさんと共に。
5.夢の中の歌
そして今岡友美さん登場。今岡さんは初登場。岡崎で活動されているジャズシンガーだそうです。話し方はおっとりしているけれど、歌声が超パワフルでびっくりでした。
サイモンとガーファンクルのアルバム「明日に架ける橋」のB面に入っていることでも有名な、
6.Bye Bye Love
三人で。
ZOOCOさん捌ける。
7.6/8のコミュニケーション
なんで6/8なんですか?と今岡さんが大野さんに質問。すべての思いがコミュニケーションで伝わるはずはないけれど、6/8くらいは伝わってほしいから。3/4だとタイトルとして面白くないし。とのことでした。なるほど。
愛してる、とか大野さんは言うタイプですか?という今岡さんからの質問。うわー!突っ込んだ質問してくれた!と思わずにやけて大野さんからどんな答えが返ってくるのかしらと聞いていたら。
「どこかの誰かの本で読んだんだけど、自分のすべてをささげられるほどのことを愛してるって言うのであって、普通みんなが愛してるって言うのは好き程度のことで、本当の愛してる、ではない」
…だと。なるほど、と納得しましたが、質問は完全にはぐらかされてる。うまい逃げ方です。
2人でこの曲をデュエットして、大野さんが捌けました。
8.いのちの歌
今岡さんがお一人で。
調べてみたら2008年度下半期朝ドラの「だんだん」の劇中歌だと。作詞は竹内まりやさん。
-2部-
EscalatorsというグループでデビューしたというZOOCOさん。最近はシティポップ名鑑にも載っているんです。岡崎で生まれたこの私がシティポップ!
と、そのエスカレーターズの曲を。
9.Fly High
10.Ain't no way
実はデビュー当時から同じ事務所でよく知っている仲だということでゴスペラーズ登場!なぜ岡崎にゴスペラーズかと疑問だったのですが、そういえば昨年のミュージックカンファレンスでもZOOCOさんがゴスペラーズについて言及していました。
さらにゴスペラーズのメンバーのうち、お二人が愛知にゆかりのある方だと判明。
おかざき、のアクセントがどこにくるのか問題。「キムタク」と同じなのだとか。わかりやすい例。
ZOOCOさんの本名がカトウカズエさんだとのことで(結婚してムトウさんになったそうです。加糖から無糖にって、おもしろい)、同じ本名の美空ひばりの曲をゴスペラーズと。
11.真赤な太陽
さすが長い付き合いとのことで、息ぴったりでした!
ZOOCOさんが捌けて、ゴスペラーズタイム。
知らない方もいるだろうから有名な曲から、とバックの四人はなしで、完全にメンバー五人で。
12.銀河鉄道999(ゴダイゴ)
13.たしかなこと(小田和正)
バックの四人と共に、ゴスペラーズのオリジナル曲。
14.ひとり
15.永遠に
16.約束の季節
細井豊さんが所属するセンチメンタル・シティ・ロマンスの曲を。
17.雨はいつか
大野さんが出てきて、よかった!と褒める。ゴスペラーズとのリハーサルをしたのが一か月前とのことで、少し段取りを忘れている大野さん(今岡さんと初めて会ったのは前日だったらしい)。
ゴスペラーズ捌ける。
再び大野さんコーナー。
18.君の誕生日
19.学生街の喫茶店
20.ワンパイントのラム酒に乾杯
-アンコール-
21.Stand By Me
大野さんとゴスペラーズで。村上さんと大野さんの掛け合いがかっこよくおもしろかったです。村上さん、低音も高音もよく声が出る…
最後は出演者全員で恒例の、
22.Twist And Shout
で、終演しました。あっという間に3時間近く経っていました。
毎度思うのですが、いろんな歌手が見れて豪華すぎます。今回も楽しかった!
あとはライブ前後で歩いた岡崎のこと。
なぜかオカザえもんを全く見なかった…ちょっとさびしい。
来年の大河ドラマは「どうする家康」。徳川家康ゆかりの地が岡崎ということで、岡崎城のある岡崎公園には大河ドラマ館が建設中でした。岡崎城自体も改修中っぽかったです。まだ建設中ではあるものの、昨年、一昨年に比べて岡崎公園は賑わっておりました。ちょうど成人式の前撮りとかしてるのを見ました。
終演後、東岡崎駅に向かう道で、めちゃくちゃライトアップがきれいでした!
昨年、一昨年はお城の近くに泊まっていて夜の岡崎をそんなに歩いてなかったので知らなかった…最近できたのかな。
井伊直政だとか
歩行者用の大きな橋
ちなみに一昨年にお土産として買ったオカザえもんのぶどうキャラメルって製造終了してるんですかね…あれ美味しかったのですが(誰か知ってたら教えてください)
また来年も岡崎でライブを開催してほしいなって思います!
THE ALFEE 三年ぶりの春ツアー「天地創造」レポ
今回は1ヶ月前に予告してたアルフィーさんのライブレポです。
THE ALFEEは例年は春と秋にツアーがあり、夏にはアリーナ等でのライブ、冬には武道館と大阪城ホールでのライブを行っていました。ですが2020年の春と秋、2021年の春と秋、と四回のツアーが新型コロナウイルスにより中止。今年は三年ぶりのツアーでした。
本当だったら去年と一昨年にそれぞれ春ツアーと秋ツアーがあって、いつもなら福岡で、福岡に来なければ九州のどこかで、ツアーごとに一回参加するのが私と母の恒例でした。それがライブに参加できなかったのです……
もっとアルフィーに会いたい!ツアーに参加したい!
と、ツアースケジュールを見てみると福岡、熊本、山口、広島2回、岡山があります。
考えてみればガロの大野さんのライブに東京に行くことがあったし、アルフィーの夏イベや冬イベで関東圏に行ったこともある。九州在住の私は関東圏へ行くことを考えたら中国地方なんて近いのではないか?
てことで六ケ所申し込んだのでした。
応募した中で、広島県のふくやま芸術文化ホールでの4/17の公演は高見沢さんの誕生日。誕生日と言えばチケットの倍率が上がるライブ。あっけなく抽選に外れたので諦めることに。。
他の応募した地域は無事、当たりました。
ということで私は以下五カ所、アルフィーの2022年春ツアー、天地創造ツアーに参加することになりました。
4/16(土)周南市文化会館(山口県)
5/4(水)広島文化学園HBGホール
5/5(木)倉敷市民会館(岡山県)
5/20(金)北九州ソレイユホール(福岡県)
5/21(土)市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)
三年ぶりのツアー。周南市でアルフィーの三人の姿が見えた時、ぶわっと涙が出てきました。本当に、生きててよかったとしみじみ。
全体的な感想としてはこんな感じ
★初参加の人が多かった
坂崎さんが、今日が初めての人!とアンケートを取るのはアルフィーライブの定番ですが、そこで手を挙げる人が毎回かなりの人数いたのが印象的でした。
★メンバー紹介での桜井さん
ただすけさんの弾くピアノをBGMに、フランス語風に自己紹介。
ボンジュール…ポンジュース、飲んでマース。と、すっとポンジュースを掲げる。これが、どこに隠し持ってたの⁉て毎回思わせられるくらいさりげなくて、毎回ツボってました。(実際は黒い袋に入れて後ろ手に持っていた)
熊本では「ボンジュール…ボンソワール…盆と正月、一緒に来たことアリマセーン」でした。
★会場によるご当地セリフ。
コントコーナー、桜井さんが
「○○(地名)のキャバクラでモテちゃって、○○(ご当地グルメ)食べ放題だったよお」
というところがあったのですが、地名によって変えられていました。
「君はパラダイス」という曲でも桜井さんの飲みたいものと、高見沢さんの食べたいものが毎回違う。
桜井さんは毎回お酒で、芋焼酎かウイスキーかブランデー(?)って言ってました。
言うと、スタッフが持ってきて、桜井さんが飲む!
芋焼酎の時は水のようなもの、ウイスキーとかのときは茶色っぽく色がついているのが客席からも見えました。
最後はシャンラランランラ〜
食べたいよ〜ケンタッキー
がお決まり。テレビでCMが放送されなくなってもケンタッキーでした。
以下、ご当地セリフの場所ごとまとめ。
・4/16(土)周南市文化会館(山口県)
キャバクラ、食べ放題の下りは失念。
高見沢さん(高)食べたいもの→ふぐさし
・5/4(水)広島文化学園HBGホール
流川のキャバクラ お好み焼き20コ食べちゃった
高→じゅわーっとした…もみじ饅頭!(そこはお好み焼きだろ、と坂桜からツッコミ)
・5/5(木)倉敷市民会館(岡山県)
阿知のキャバクラ きびだんご食べ放題
高→肉(何肉だったかは失念。子どもの日も倉敷も関係なかった)
・5/20(金)北九州ソレイユホール(福岡県)
栄町のキャバクラ ○○(失念)食べ放題
高→鉄鍋ギョーザ
・5/21(土)市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)
下通のキャバクラ からし蓮根(おそらく)食べ放題
高→失念(ぎゅーっとした馬刺?)
最近のツアーで多い、桜井さんの空気を抜いて、高見沢さんもしくは坂崎さんが入れるというくだり。
ただすけさんがSEを間違えて、空気とは違った音が!
空気入れの下りは自分が参加した春ツアーでは周南市でしか見ませんでした。
いつものことながら坂崎さんがあざといことをしてました。
アンコールの「夢や急げ」だったか「SWEAT &TEARS」だったかで、桜井さんが花道へ。すると坂崎さんもやってきて、桜井さんの後ろにピッタリくっついて、その肩のところから顔を覗かせてにこにこ。
桜井さんもまんざらでない様子。女子のハートをぶち抜いたファンサービスでした。
・5/4(水)広島文化学園HBGホール
周南市では見なかった桜井さんの秩父音頭披露!
その後もすべて聴けました。いやあ、なんでもできるんだなあ(というかなんでも高見沢さんはやらせるんだなあ)としみじみ。
「トラベリング・バンド」がこれ以降毎回聴けました。「たどり着いたぜ広島!」
前列の男の子が小学生くらいで、お母さんに連れられて初めてのライブだったらしく、音が大きいため疲れるのか、大体突っ立っていて、途中で何度か抜けていて、大丈夫かなあ、せっかくのライブ楽しめてるのかなあって気にかけていたら、終盤のSWEAT&TEARSでテープが飛び。
それをゲットしたお隣のお姉さまが、男の子におすそ分けしてました。すると、その次の曲のジェネレーションダイナマイトで男の子がそれまでと打って変わって拳を振り上げているではないですか!
見ててほっこりしました。ステージだけじゃなくて、こういう人間ドラマ(?)を見るのもライブの醍醐味だと思います。お隣さん、ナイス!
自分もそのくらいの年齢の時が初めてのライブだったので自分を思い出しました…。おそらく見守ってもらっていたのだろうなと。
MCで高見沢さんの言い間違いが発生。
「今、3人合わせて203歳。にーまるいちまるになるまでやりたい」
2010歳…!?
声は出さないけど客席がざわめく。
桜「突っ込まないであげたけど」
坂「1人600…」
本当は“にーいちまる”って言いたかったんでしょうね。
・5/20(金)北九州ソレイユホール(福岡県)
(特に写真を撮っていない…)
「トラベリング・バンド」にて、地域によって変える歌詞「たどり着いたぜ「この町」」
小倉では、「たどり着いたぜ…コクラ!」とちょっと言いにくそうな桜井さん。
お隣が珍しく同世代(おそらく大学生)で、ちょっと嬉しかった。前列の人も同世代だったのでうれしかったです(どちらとも言葉は交わしませんでしたが)。というか、この北九州では10代、20代が多い印象でした。若い世代、ウェルカムです!
Twitterとかで若い自分が行くと浮きそう、とか心配している方がいますが、好きなものを好きな人たちと一緒に楽しめるって最高だし、それに年齢は関係ないと思います。
たくさんの歌手がいる中でよくアルフィーを見つけてくれたね!と思ってます(((何様
高見沢さんはこの日ちょっと上の空。ギターのリフを間違えたり、人の話を聞いてなかったり、笑ってるようで目が笑ってなかったり。わかりやすい人だな…と思いました笑
・5/21(土)市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)
記念すべき2800回目のライブ。映像として残すためか、ステージ前で撮影をしているスタッフがいました。
いつも下手(桜井さん側)に捌けていくのですが、ここでは上手側(高見沢さん側)に捌けていきました。で、それが新鮮で。下手に捌けていく時は、桜井さんが一番最初にステージから出ていくので「よし終わった~酒酒♪」(言ってない)てな感じでへなへなと出ていき、それに坂崎さんが続き、高見沢さんが最後みんなに向かって両腕でガッツポーズを取ってくれたりして終演するのがパターン。
それが、最後に出ていくのが熊本では桜井さん。桜井さんが太郎くんのうしろからしゅぽしゅぽ汽車ごっこにように追い立てていたり、お客さんとじゃんけんしたり。サービス精神が最後まで見られたのが新鮮でした(決して普段サービス精神がないと言いたいわけじゃない)
以前この会場でライブがあった時も上手に捌けて行っていた気がするので、この会場は導線が違うのでしょう。
2800回だからといって特別なことはするわけではなかったです。
高見沢さんの「2800回ライブを続けてきた。それでも初めて来た人がいる。国民みんなが来るまでやる!」という言葉が印象的でした。
何ともまとまりのない文章ですが、それぞれ楽しいライブでした!
THE ALFEE(同じ歌手)のツアーに何度も参加してなぜ楽しいんだろう?
次回はそのことについて書こうと思います。
アルフィーネタ続きます。
ボーカルさん、いつの間にかTwitter始めてた
タイトル通りでございます。
…いつの間に存在していたのでしょう。最初の投稿は昨年7月13日だったらしい。岡崎ミュージックカンファレンスのライブダイジェスト動画を公開しましたよっていう内容。ですが私がフォローした時点(まだフォロワー100人以下だった頃)でリツイートもいいねもほとんどついていなかったので、最初に投稿された時点ではアカウントはほぼほぼ誰にも気づかれていなかったと推測されます。が、6月23日の投稿で写真とハッシュタグが目に留まりやすかったこともあり、一気に拡散され、認知されたようです(私もリツイートされていたのを見て気づきました)。
ただ、ホームページの方からリンクは貼られていないし、Facebookの方でもTwitter始めましたという連絡もなく…
会う度にどんどん大人っぽくなる彼女達にビックリ!歌も上手くなっていてビックリ!この先も期待ですね〜。
— 大野真澄 (@MasumiOhno_1949) 2022年6月23日
坂崎とも久しぶりで楽しい時間でした。バンドの皆さんもありがとう(^^)#フォーク村#ももいろクローバーZ#THEALFEE pic.twitter.com/auw1ehOswC
ももクロちゃんたちとの写真、コメントはFacebookへの投稿と同じもの。
別人がなりすましでFacebookでの投稿をコピーしたものではないか?ほんとに本人かな?と、ちょっと疑いたくなりますが、プロフィール画像は見たことがない写真だし、ヘッダー画像は中学生の頃に大野さんがつけていた洋楽のヒットチャートノートだし、そもそもなりすましてその人に何の得があるのか…
さらに翌日、それにリプをつける(返信する)形で投稿された「平凡なこと」のライブ映像。
沢山の「いいね」ありがとうございます☆デレデレしていない姿も是非ご覧ください(^^) pic.twitter.com/BtLq0DzzZL
— 大野真澄 (@MasumiOhno_1949) 2022年6月24日
これも見た事がない!眼鏡デザインや雰囲気から2000年代初頭の映像っぽく、もう少し最近の歌唱映像はなかったのかいと突っ込みたくもなりましたがレアなことには違いなし。こちらの動画はFacebookの方では投稿されていません。
このブログでも取り上げたことがあったかもしれないこのインタビュー記事。
https://www.club-willbe.jp/interview/2107ohno_c.html
2000年に出したものなんですけど、特に表題曲の『平凡なこと』をアレンジなどを見直して、もう一度世に出したいと思っています。それから動画を制作してネットで流そうかと。今こそこの曲が時代にふさわしい気がしてるんです。
アレンジなどは全く見直されていませんが、とりあえず動画がネットに流されたことは確か。今後リアレンジされた「平凡なこと」を含めた「青春の旅路Vol.2」をレコーディングする伏線だったりして…!(←深読みしすぎ)
フォロワーは現在200人を超えたくらい。
Facebookをやっている人よりも断然Twitterをやっている人の方が多いと思うので、これで大野さんとガロの認知度がアップするのを期待したいですね!
因みに大野さん、7月にラドンナ原宿にてライブを行う予定が発表されているのですが
こちらはTwitterで宣伝しないのでしょうか、スタッフさん…
以上、今回は備忘録を兼ねた好き勝手な分析でした。
最近の投稿は大野さんのことばかりになってしまっているので、次回はアルフィーのライブレポを数回に分けて書こうかなあと思っております。
それでは〜
大野真澄 GAROから50年〜その1 ライブレポ
昨年10月21日に東京のラドンナ原宿にて大野真澄さんのライブがありました。
今更ながら、今回のブログはそのレポです。
まずセトリを
*―――――――――――――———*
*―――――――――――――———*
ラドンナ入口にででんと貼ってありました。
今回は10月21日のその1「GAROの時代」です
モニターではビートルズの解説ビデオが流れていました。大野さんの私物なのだろうな。
BGMは珍しく70年代歌謡曲。(いつもは洋楽だった気がします)
CDを特定してしまえば、「青春歌年鑑 1973」が流れていました。
食事は写真を撮り忘れましたが白桃ジュースとマルゲリータピザを頼みました。
白桃ジュースが濃厚でとても美味しかった!
シラフでじっくり鑑賞したいのでお酒は飲まない派です。
ビートルズのビデオが流れていたモニターではステージの様子が写っています。
以下ライブレポ。発言はざっくりとニュアンスだけお楽しみください。
一部
1、一人で行くさ
2、たんぽぽ
3、地球はメリー・ゴーランド
——メンバー紹介——
キーボードの細井豊さん
名古屋の東海テレビから取材が来ていて、ガロ特集してくれるのかなと思っていたら、大野さんでなく細井さんを撮るためだとか。センチメンタルシティロマンスを特集して、細井ちゃん(By大野さん)をピックアップするためのカメラだそう。
名古屋のテレビ局だから岡崎(名古屋と同じ愛知県)出身の俺も特集しろよ、と小言を言う大野さん。センチメンタルシティロマンスは名古屋出身のグループ。
ギターの鈴木雄大さん
大野さんから特に説明なかったですが、エレキとアコギを曲によって持ち替え持ち替え演奏、歌を歌われます。
ギター、ピアノの太田美知彦さん
昨日階段から落ちたという衝撃のことを。「Facebookに書いてあったらしいが見てないから知らなかった」と大野さん。結構痛そうでした…
おなじみの3人のメンバーと共に大野さん。
「今日はガロの曲だけ、他の曲はやりません。あ、裏切るかもしれない」と意味深な言葉。
1~3曲目はレコーディングした順だそう。
「一人で行くさは8時くらいの番組でコマーシャルに使われた。一度見たが、何回か流れたらしい。」
「当時パチンコ屋でたんぽぽが流れていた。合ってなかったけど、聞いた時感動した。」
「地球はメリー・ゴーランドはいろんな人にカバーされてる」
「僕ら三人とも村井邦彦さん大好きだったんで…」と、村井邦彦さん作曲の曲を二曲続けて。
4、美しすぎて
5、散歩
「地球はメリー・ゴーランドはプロモーションビデオを撮った。見た事ないでしょ? 僕も何回かしか見た事ない。ガロの刺繡がしてある派手なGジャンをセツ・モードセミナーの友達が作ってくれてビデオで着てる。今日持ってこようと思ったが忘れてきた。28日に持ってこようと思う」
28日(その2)に持ってきたのでしょうか。見たかった…!
「ジャケットデザインは1~3枚目はセツの友だちがやってくれて、3枚目は篠山紀信さんが撮ってくれた。撮るのが早い。その後少年マガジンとか月刊明星とかでも撮ってくれた。」
「19歳の頃とか近くに公園があった。夜中まで仕事してたら子どもの声はうるさいけど、ほほえましかった。」
6、忘れていたもの
「2人(マークとトミー)と知り合ったのはちょうど20の頃」
「小坂忠とマークと三人でヘアーのメンバーの結婚式のため練習した。マークの家すごかった。親父が弁護士だから」
「マークはドノバンが好きでラレーニャのおかげでたんぽぽができた」
「初めてソロパートをもらった曲」
7、何もかも遠くに
「ファーストアルバムは評判が良かった。そもそもガロは結成してから最初からすごく評判が良かった。だからデビュー前から仕事は結構あった」
「一番最初にマネージャーをやってた人がそこに来てる」
「昔くわしろたくみ(桑代巧?)神代辰巳(くましろたつみ)さん(※追記:訂正のコメントをくださった方がいました。ありがとうございます!)さんの映画の音楽をやった時(1981年の「仮面の花嫁 暗闇へのワルツ」ですね)、僕も映画に出させてくださいって言ったら大野君はいいんだけど、違うんだよって言われた」
釣りバカ日誌にはちょこっと出演されてますが、演技っていうより歌を歌ってましたものね…(ギターで悲歌の弾き語り)
「最近地球温暖化とかあるけど、山上路夫さんが当時もうこんな詩を書いていた」
8、花の伝説
9、遠い春
「ファーストアルバムをつくった頃はっぴいえんども風街ロマンをつくってて、丁度ミキサーが同じ人だった。はっぴいえんどは百何十時間かけたって。俺たち68時間…。なるべく時間かけたいけど、かけられなかった。一緒にわーってハモって。ボーカルは声が大きいから離れてってどんどん部屋の隅にやられた…」
数字まで覚えているとは大野さんの記憶力がすさまじい。ファーストアルバムは68時間で録音されたそうです。
きれいにハモれなくて、重ね録りにしたらハモったが、ライブでは再現できない。ライブで再現するために機械を作ってもらったが駄目だった…そのギンガムという会社に音響でお世話になった。云々。
※ギンガムというのはユアーズガロNo.8の8頁に「音響・GINGHAM」と記載ありました。
「僕は曲さえ良ければだれがつくったか関係なかった。なんでも良い、じゃなくて、良いものが良い。この曲は学生街が売れ始めたころで、マークすごくいい曲つくったのにもったいなかった。残念に思った」という、
10、涙はいらない
最近インタビューされた週刊文春の「ジュリーがいた」という記事についてのお話。
「田辺エージェンシーではライブを演る歌手としては一号」
「この間ガロがアルフィーみたいって言われた…」
本当はアルフィーがガロみたいなのですが…先にアルフィーを知っちゃうとそうなるよなあと思います。自分も最初はそんな感じでした。
11、学生街の喫茶店
12、時の魔法
一部ラストはお客さんの手拍子で華々しく終わりました。ステージの頭上に設置してあるミラーボールが回っていたのはこの曲だったと思います。
二部
おもしろい昔の映像が出てきた、と
堺正章さん主演の映画「街の灯」(1974)のガロ出演シーン!
実はYouTubeで見れます…こちら。
「久々に見て、あんな芝居じみたことやってるとは思わないから恥ずかしかったw」
「この頃は仲良さげにやってますね(意味深)」
13、Ohio
序盤に言っていた「今日はガロの曲だけ、他の曲はやらないけど、裏切るかもしれない」という言葉通り、いい意味で裏切られた演奏!
「中津川フォークジャンボリーに出た。拓郎がサブステージでやってたの、知らなかった。僕たちメインステージだったので(ドヤッ)…ちょっと言ってみただけ」
「精進湖のロックフェスティバル行くことになって。かまやつさんから俺の車でマークとトミー連れて行くからって。え、俺は。「ボーカル、バス」って。だから電車とバスで行った。そしたら主催者からかまやつさんと二人が帰ったって言われた。疲れたからだとか。電話しても出ない。だから一人で演った。Tin soldiers and Nixson's comin'♪(Ohio)って」
ガロ時代の災難なエピソード(・ω・`)
「ガロとして最初のレコーディング」
14、四つ葉のクローバー
チューニングし直し…その音色で次の曲、わかっちゃいました。そう、
15、暗い部屋
「一枚目のアルバムでフィーチャーされてた曲」
「赤坂のホテルニュージャパンで集まってサーカスっていうアルバムにしようと決まった」
「ビートルズのジャケット描いてたフールー(? ビートルズ知らなさ過ぎてわからなかったのですが、人名?)に描いてもらおうってことになって、三人とも喜んだ」
「フロリダでレコーディングするとかも言ってたけどどんどん予定が入っちゃって、結局国内で」
「結局ジャケットは僕が描いた方がうまいですっていう…散々でした。が、それ描いたのは知り合いだった」
ジャケットに描かれているのはゾウですが、曲中にゾウ出てきませんしね…アルバムラストの動物の鳴き声の最後の締めはパオーンという鳴き声になっているのでジャケットと合わせているのかもしれません。
「この2曲はマークの最高傑作」
16、空中ブランコ
17、ピエロの恋唄
「サーカスは山上路夫さんが良い詞を書いてくれた」
続いてアルバム吟遊詩人について
全曲歌詞を書き下ろしてくれた阿久悠について、大都会の羊飼いの歌詞を踏まえて「阿久さんは若い頃病んでいたのではないか」と分析する大野さん。
18、個人的メッセージ
こんな若者がこんな青春を生きたと
ただいとおしく伝えたかっただけさ
阿久悠の記憶違いの話(吟遊詩人のレコーディングを見に行ったがメンバーが口をきいてなかった、と朝日新聞の連載で書かれたが阿久悠はそもそも見に来てないetc)、マークと一緒に出演したとき目を合わせることはなかった、とか書かれた。再現ビデオでの脚色etc…
19、大都会の羊飼い
20、吟遊詩人
どれももの悲しくて愚かしくて
それだから愛らしいそれらのできごと
あの時代愛してた仲間の青春を
歌ってきかせたいと今おもう
個人的メッセージと吟遊詩人の引用した部分は、今大野さんが歌うからこそのリアリティがあります。個人的にはここの部分を聴くためにライブに行っているくらい。ほんとすごいんです…!(語彙力)
サーカスと吟遊詩人は後期のアルバムということもあって取り上げられることが少ないですが、今回たくさん歌ってもらえて満足でした。
「解散コンサートやるってことになって、マークが「やるんなら武道館でやろう」って…無理だよ」
「青春の旅路の歌詞についてトミーが「俺たちが疲れさせてるみたいでいやな感じがする」って言ってきた(╬^∀^)」
マークとトミーは他人の感情に無頓着だったのかなと大野さんの話を聞いていて思いました(^-^;
「初めて演る」
21、さいごの手紙
アンコール
22、青春の旅路
23、木馬
手拍子。途中で三拍子になるところがまた良いのです。時の魔法と共に、ライブを盛り上げる曲。
21時、終演…
全体的に結構しゃべってくれたなーという印象でした。よく話すエピソードだけではなく、割とマニアックな話まで。
ガロのオリジナル音源よりも、ガロのライブアレンジの方で演奏されているという印象です。
「一人で行くさ」と「地球はメリー・ゴーランド」、「吟遊詩人」(マークとの共作)はトミーの曲ですが、全体的にマークの曲の割合が高かった。
大野さんが作ったのは「たんぽぽ」(作詞)、「青春の旅路」…のみ。大野さんもいい曲をたくさんつくっているのでせっかくなら歌ってほしかったなあ。「その2」では歌われていたのかもしれません。
対面でぎっしりお客は入っていたのですが、向かい合わせになる間にはアクリル板がしっかり設置されていました。感染対策はばっちりですが、これが案外邪魔でして。前のテーブルにあるアクリル板がちょうど鈴木さんにかぶっていて、光の反射でギターの手元が見えない、というのが私の悲しいポイントでした。
ちなみにその2のレポはありません。九州からなのでさすがに二週続けて東京で行われるライブには参加できなかったからです。
地方民のためにも70s70の続きをしてほしいものです。
大野さんよろしくお願いします!
あけおめ& ラジオ深夜便「春風亭昇太のレコード道楽」大野さん出演
ご無沙汰してます。今年初めてのブログの更新となりました。もう2月も近いですが、今年もよろしくお願いします!
実は卒業論文を書いていました。
そのテーマは、
ガロ「吟遊詩人」のアルバムの歌詞について!
日本の近代文学のゼミなのですが、先生が取り上げるテーマに関しては大らかな方でこんなテーマでも許してもらえました。
十篇の詩のつながりや、アルバム曲の全作詞を行った阿久悠のヒットへのこだわり、当時の評価など、いろいろ書きたい放題させていただきました。
書き足りなかったことや考察内の矛盾も多々あることが心残りですが、卒論を進めていくのがとても楽しかったです!
中間発表もあったので、そこでは学生にガロを布教できたかなと思います笑
とりあえず提出が終わったので肩の荷がおりました。
せっかく書いたんだし色んな人に読んでもらいたいなあと思いつつ、手直ししたいところはたくさんあるし、ネットに載せるとしたら個人情報的にどうなのかと思ったり…考え中です。
まだ今はすることが多いのですが、落ち着いたらゆるゆるブログを更新していこうと思います。
二つ目の話題。
NHKラジオ第一のラジオ深夜便「春風亭昇太のレコード道楽」に、大野真澄さんが出演しています!
前半後半とあり、本当は11月に放送される予定が野球中継の延長で前半しか放送されず…
1月22日の深夜に前半は再放送、後半は初の放送になりました。
放送は終わったわけですが…聞き逃し配信として、現在NHKのらじるらじるで聴けるようになっています。ネットで検索するか、スマホであればアプリで聞けます。
配信終了時刻は前半部分は1/30(日)午前0:00、後半部分は同日午前1:00です。
春風亭昇太さん、ゲストの大野さん、そしてリスナーの思い出のレコードをかけて、おしゃべりという番組ですが、その流れる曲がいい!
リスナーの方がリクエストした、後半一曲目の曲とか、大野さんから裏話を聞けて最高でした。ガロファン必聴。
楽しみに待っていたせいか、後半の方が貴重な話が聞けて濃かったような気もします。前半はガロについての(ファンにとっては)基本の説明が多かったのかな。
個人的には曲が流れていた時に2人が話していた内容も気になります…笑
お時間あればぜひ聞いてみてください!
NSP中村さんおすすめ曲 ——追悼中村貴之さん
11月27日にNSPの中村貴之さんがお亡くなりになりました。
ネットニュースの記事
(速報的で内容は薄いけどこの記事のお写真が一番よかったです)
https://www.oricon.co.jp/news/2215689/full/
世間的にはNSPとはなんぞや? という方が多いかもしれません。
知っている人でもNSPといえば「夕暮れ時はさびしそう」。右の人(天野さん)がリードボーカル。真ん中(中村さん)にオカリナの人。
…なのでしょうが、NSPは3人ともリードボーカルが取れます。天野さんと平賀さんがどちらかというと不安定な歌い方(それが魅力なのですが)をするのに対し、中村さんは太くて安定した歌声。メンバーで一番歌唱力があるのは中村さんだと思います。
そんな中村さんのリードボーカル曲を5曲紹介します。
1,おひるねの季節
ファーストアルバムは中村さんリードボーカル曲が多いです。(すべて作詞作曲は天野さん)
「ボーカルなんていらないよ」、「ちょうちょ」、「がんばれやせがえる」…12曲中4曲です。
その中でもおすすめが「おひるねの季節」。やわらかい春の日差しを感じられ、うとうとしたくなります。
春っぽい歌としてはセカンドアルバムの「スケッチ」もおすすめです。
2,コンクリートの壁にはさまれて
作詞作曲天野さん。かなり際どいというか、家族と一緒では聴きにくい曲。だけどいやらしくない。NSPのなかではロック系の曲。中村さんの声が合います。
3,都忘れ
タイトルに花の名前が多いNSP。彼女が残したものを、思い出を、見て呆然としている姿が浮かびます。作曲が中村さん。作詞の中村知子さんはお姉さんです。
姉弟コンビの曲としては「さくら草(雪どけ水はつめたくて)」、「都会」もあります。
4,揺れるひととき
作詞作曲中村さん。おおらかで伸びやかな声。
今回ブログを書くために歌詞をじっくり読んでみたのですが、タイトルの「揺れる」には踊る君の体であり、僕の心であり、お酒に酔って視界が定まらないといういくつもの意味がかけられています。さらに店内は煙草の煙が充満し、主人公が手に持つ煙草の煙が揺れているような気もします。(※歌詞に煙草は出てきません)そう考えると結構深みのある歌詞じゃないでしょうか? もっと考察できそうです。歌詞にも注目!
「ゆらり ゆらり 揺れる」と何度もゆったりと繰り返され、夢の中のよう。
5,そんな季節に口づけを
NSPは天野さんがどこか悲しげで切ないNSPという特色を出しているようですが、実は中村さんの作り出す曲調もどこか不安がまとわりつきます。
この曲の作曲は中村さんと天野さんが二人クレジットされている珍しいタイプ。中村さんが作った曲に天野さんが口出ししていったような勝手なイメージなのですが…果たしてどうなんでしょう。
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あまりギターには詳しくないので触れませんでしたが、天野さんがボーカルの曲ではリードギターを弾いている姿を見ることができます。YouTubeで見た動画ではピアニカを弾いていると言っていたり、確かNSPを組む前にドラム担当だったこともあったような…(こちらは記憶があいまい)器用ですね。
三人の中ではのんびりしていて、衝突する天野さんと平賀さんを真ん中で仲裁するという立場だったようです。
五年前、ライブに行った時は天野さんがリードボーカルの曲も歌われていました。
https://amkt2210.hatenablog.com/entry/2020/08/10/225732
また行きたいというのは叶わなくなりましたが音楽は残っていきます。
サブスクには再結成後の音源しかないのが痛いですが、YouTubeには探せばかなりあります。ぜひ聴いてみてください!
中村貴之さんホームページ
※2023.1.7追記
ホームページは閉鎖され、このリンクは別サイトに飛ぶようになってしまっています。一応残しておきますが、押しても中村さんの情報はもう見れません…
☆★☆このブログを読んでくださったNSPファンの方へ☆★☆
どなたかWikipediaに中村さんと平賀さんの個人ページをつくりませんか? ソロ活動の情報が整理されていないのと、単純にページが存在しないことが寂しいのです…中村さんが亡くなったあとまとめサイト的なものもつくられていましたが、あまりNSPを知っている人がつくったとは思えなくて…人任せで恐縮ですがどなたか…気が向いたらつくってください…!